近隣の見どころ


山住神社

 和銅2年(709)伊予の大山祇神(おおやまづみのかみ)を勧請して山住(やまずみ)大権現と称した。

 当初は、勝坂、あるいは門桁、あるいは宮川に創建された後、現在地に遷座したという。

 

 徳川家康が武田勢に追われ山住に逃げ込んだ時、山全体が鳴動し、ウォーウォーという山犬の大音声がおこり、武田勢を退散させた。

 以来、徳川家康の崇敬を受けたという。そのためだろうか、当社の神紋は葵の紋だ。

 

 徳川家康を助けた山犬の声でも明白だが、当社は、山犬(狼)信仰の神社。

当社の神札には、山犬様が描かれている。


塩の道

 この道は、地域や歴史、その使われ方により、その呼び名が変わります。遠州地域では塩の道であり、信州街道であり、秋葉道です。信州地域では塩の道であり、遠州街道であり、秋葉道なのです。

Shionomichi 塩の道は交易の道であり、軍事・軍略の道であり、遠州と信州を結ぶ「命」の道です。信州和田峠にしか出ない“黒曜石”の鏃(やじり)が遠州各地で見られることから、この道は縄文時代にすでにあったのではないかと推量されます。

 塩を中心とした交易ルートは、相良と新潟県糸魚川を結ぶものであり、その中間点“塩の終るところ”が塩尻(長野県塩尻市)と呼ばれる所以です。

 

  「秋葉道」は、江戸時代に秋葉詣の盛んになった時代以後の名称で、信州・三河・遠州近郊から秋葉山に向う複数のルートに使われたようです。

 しかし主要な信州方面からのルートは青崩峠を通るルートで、塩の道そのものです。

 水窪の地は、南信州と太平洋を結ぶ長く険しい塩の道の中継地にあたり、長く宿場町としての地の利を得て来ました。この地での古文書関係の多くは「信州街道」と表記されています。